身土不二

マクロビオティックを考える上で、重要な考え方がいくつかあります。
そのうちの一つが

「身土不二」です。
「身体」(身)と
「環境」(土)は
バラバラではない(不二)

こういう観点から、マクロビオティックでは、より、人間がその場の環境になじむには、なるべく、自分がいる土地で採れたもの、その季節に自然に採れるもの、を食べることが大切だ。という意味で使われます。

「身土不二」
目に見える、自分自身の身体を、「自分」だとすると、それ(自分)以外の部分は、「環境」だと言えます。けれど、本当に「分かれている」のでしょうか?

その二つは隔たれているのでしょうか?
例えば、あの山。どこからが、「山」で、どこからが、「山でない」のでしょうか?

さらにいうと、あの山に生えている大きな「木」は、「山」の一部であるけれども、違う観点からいうと「山でない」とも言える。
とくに自然界には、人間が勝手に付けた”境界”がたくさんある。

ほんとは、それ自身境界がないところに、名前を付けることで境界を作っている。

人間は、「名前」を付けることで、世界から、それらを切り離し、分類し、個別の存在として生みだした。

例えば、女の人が、赤ちゃんを身籠った時それは、どの状態から、「お母さん」と「赤ちゃん」は別の存在だと言える境界なのでしょうか?

お母さんという人間の内側に存在していた(同化していた)赤ちゃんは、いつから、お母さんという人間の外側になる(別の存在になる)のでしょうか?

私たち人間は、世界それ自身(母なる自然)から、分断された(と思いこんだ)赤子のようなものです。本当は、そこから生まれた存在です。

私たちの取り巻く環境は、私たちを育んでくれるもの(母)です。だから、その環境に則したもの(季節のもの、土地のもの)を食べて、私たちは、育てられているのですね。

自然からそのままに与えてもらっているものに逆らわず、生きて行くのが、もっとも幸福に生きれる方法なのではないでしょうか?

※2010年10月8日の記事です。