春分とお彼岸

昨日は春分でしたね。太陽が真東から昇り、真西に沈む日で、昼と夜の長さが同じ日でもあります。地球が太陽の周りを移動する中で、太陽黄経で90度角にあたる春分(0度)、夏至(90度)、秋分(180度)、冬至(270度)の通過点は特に重要な意味を持ち、エネルギーが加速する日のようなのです。目に見えない世界(次元)と目に見える世界とがつながりやすくなる(ポータルが開く)日といってもよいでしょう。昨日は、私は外で畑仕事をしたり散策をしたりして、太陽の光をたっぷり浴びました。体に心地よいエネルギーが充電されたような気がします。

 

自然に感謝し、祝福する春分の日

 

 

新暦の3月の20日から21日頃にやってくるのが春分の日。昼の長さと夜の長さが同じ春分の日を昔の人は、「自然に感謝し、祝福する日」だと感じていたようです。その15日前には「啓蟄」といって虫が目覚める時期が到来します。この頃になると、大地が暖まることでそれまで土中で冬ごもりしていた虫たちが春の到来を感じて、草木が芽吹くと同時に地上へ這い出してくるのです。

 

 

この時期には冬眠していた動物たちも長い眠りから覚めて動き出し、冬の間じっとしていた人々もやる気に満ち溢れてきます。古来から人々は、春分の日に春の訪れを祝い、同時に祖先に感謝するお祭りを行って来ました。この風習は農村部で長く続いていたようですが、それが春のお彼岸祭りとして定着していったようです。

 

 

「暑さ寒さも彼岸まで」と言われるように、寒さが和らぎ、霜が降る心配がなくなる春のお彼岸の頃は、農作業が始まる時期にあたります。暑さが一段落する秋の彼岸は収穫の時期にあたるので、春には収穫をもたらす山の神などを迎えるために「ぼたもち」を、秋には五穀豊穣の収穫を感謝して「おはぎ」を作ったとも言われています。

 

 

彼岸に込められた祈り

 

 

春分の日は太陽が真東から昇り、真西に沈む日でもあります。「生物をたたえ、自然を慈しむ日」と定義されていますが、なぜ仏教の極楽浄土の思想と結びついたのでしょうか。

 

この日、真西に沈む太陽は極楽の東門に入ると言い伝えられていることから、その日の太陽を拝むと、浄土の東門を拝むことになります。この時に故人の霊を供養すると、迷わず極楽浄土に成仏できると言われています。

 

 

仏教では彼岸は彼の岸として悟りの境地を言い、苦しみで満ちている此岸と対になる言葉として使われています。そこで彼岸中は仏道修行に励むわけですが、日本では祖霊崇拝の慣習が合わさり、ぼたもちやおはぎをささげ、先祖を供養するようになったのです。

 

 

 陰陽五行では朝方の時間と東の方位は「肝・胆のう系」の経絡の方位にあたります。朝方に昇ってくる太陽の光には肝臓にたまった毒素を浄化し、イキイキとした若々しさをもたらす働きがあるようです。

 

 

 また、東の方位には事業の発展や進展、自然界の木や植物や子供達の健やかな成長や発育という意味もあります。そのようなすべての生き物の成長・発展、豊作などを願う祈りが春分の日に込められていたのかもしれませんね。

 

 

 小豆と精進食で身を清める

 

 

  では、なぜ捧げものに小豆が使われるのでしょうか。実は小豆の赤色には、災難が身に降りかからないようにするおまじないの効果があると信じられていて、古くから邪気を払う食べ物とされていました。そのため先祖の供養と結びついたものと思われます。

 

 

また、小豆の中にあるイソフラボンという成分に女性ホルモンと同じような働きがあることが分かってきした。また、小豆に多く含まれる亜鉛や豊富なビタミン類が女性の生理のリズムを整えたり、骨や脳の成長・発育を促したりといった働きをしてくれるのですね。作物も人間も健やかに成長するようにという願いが春のおはぎには込められている気がします。秋のぼたもちには秋の収穫物を食べることで子宝に恵まれ、子子孫孫まで家が繁栄することを願う意味があったのかもしれませんね。

 

 

季節の変わり目であるこの季節は、冬場に蓄積した汚れが溶け出す時期でもあります。啓蟄の頃から体内に滞っていた汚れが溶け始めるため、花粉症やアレルギー疾患などの排泄反応が出やすくなります。ですから季節の変わり目であるこの頃には、胃腸に負担をかけずに血液を浄化する働きがある精進料理がぴったりなのです。

 

 

お彼岸の時期は、本来は仏教の影響で精進食を食べて過ごしたようです。春の息吹を感じながら、まさに精進食でもあるマクロビオティックの食事で体を清めましょう。そして、日々我々を生かしてくれている自然や動物、ご先祖様に感謝をささげながら過ごしてみてはいかがでしょうか。